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谷崎潤一郎「刺青」  作品レビュー

(2009.11.20 更新)

「刺青」

★★★★

ストーリー ★★★  このストーリーをどう読むかは人による
キャラクタ  ★★★★  清吉…こいつ変態だ; 変態がいるっ;
世界観   ★★★★  唯美だ
文章     ★★★★★  さすが!
感動     ★★★★
  なぜか忘れられない

書誌情報

谷崎潤一郎『谷崎潤一郎全集 第一巻』、初版、中央公論社、1981/5、
ISBN4124010419

目次

誕生

The Affair of Two Watches 
刺青
麒麟 
信西 
彷徨 
少年 
幇間 
ひょう風
秘密 
悪魔 
あくび 
朱雀日記 
羮 
続悪魔

収録作品は以上。
あらー; ページ数忘れました。ごめんなさい。
それに、ひょう風の「ひょう」の字が出ない; 「風」+「犬」です。


装幀 

これもチェックし忘れました;すみません。
面白みのない白い表紙だったのはたしかです。まあ、全集ですから。

ところで、新潮文庫の『秘密・刺青』は上記と似たような初期作品を収めていて、カバーも綺麗ですよ。真っ赤な表紙に、暗い金の梅の花が散っています。白抜きの書名と著者名も印象的。時代がかった上品さと現代性を感じさせる鮮やかなデザイン。こちらの方が値段も手軽ですv


ストーリー

刺青師清吉は、刺す針の痛みに呻く声に快楽を感じる男であった。
この清吉は、光輝ある美女の肌を得て、それへ己の魂を彫り込むという年来の宿題があった。
あるとき、清吉は、駕籠(かご)からこぼれた白い足を目にし、その足の主こそ探し求めた女であることを確信するが、駕籠は去って行ってしまう。
ところが、後に清吉のもとを偶然訊ねてきた娘こそ、その足の持ち主だった。
清吉は娘に二本の巻物の絵を見せる。

「これはお前の未来を絵にしたものだ」

巻物のひとつは、今にも刑に処せられんとする生け贄の男を眺める暴君紂王の寵姫末喜を描いたもの。
いまひとつは、若い女が桜の幹へ身を寄せて、足下の男たちの屍骸を見つめている「肥料」と題するもの。

絵の女と同じ本性を持つことを認めながらも怯える娘を麻酔で眠らせた清吉は…。

以下、一応反転。

娘の背中一杯に女郎蜘蛛の刺青を施す。
それは清吉の生命を注ぎ込んだものであった。
目覚めた女は、清吉に向かって「お前さんは真先に私の肥料(こやし)になったんだねえ」と言い放つ。
帰る前にもう一度刺青を見せてくれと懇願する清吉に応えて、肌を脱いだ女の背中は、折からの朝日を受けて燦爛と輝いた。


ネタバレ感想

短編小説『刺青』は、明治四十三年十一月、雑誌第二次「新思潮」に発表された。谷崎潤一郎の実質的な処女作といえる作品。

この作品は、やたらと「サディズム」「マゾヒズム」「フットフェティシズム」などの異常性欲が散りばめられているため、耽美で倒錯した云々と評されることが多いみたいです。

無理もありませんけどね…;
何しろ、谷崎のマゾっぷりや足フェチっぷりは有名ですから。

谷崎を高く評価していた永井荷風は、谷崎の作品の特質として「肉體的恐怖から生ずる祕幽玄」を指摘しています。この指摘は、『刺青』はサディズムやマゾヒズム、フットフェティシズムなどの異常性欲を主題にしているとする説につながりますねー。
高村光太郎も、「『刺青』などはサヂーズムである。充り異性を苦しめて其の苦しがつて居るところに快感を感ずるのだ。」と延べているし、 野口武彦氏も谷口自身のマゾヒズム性に着目して、清吉が女に「」を注ぎ込み「」を女の形で創造したという説を述べられています。

やっぱり、みんなそう思うんだね。
でもさ、それだけを書きたいんならただのポルノじゃん? 
後世まで高く評価され続ける作品には、「異常性欲」の一言では終わらせることができない何かがあるんじゃないか…? と思いません?

その点、西沢正彦氏の「『刺青』論」は、清吉を浮世絵師から堕落した奴と推測。放蕩生活を送っていた当時の谷崎を清吉と重ね合わせ、「刺青」は、谷崎の内なる芸術上の理想を表出しようとした作品という説を述べられています。

でも、この説も、作者を清吉と同一視しているという点では、「テーマは異常性欲」説と何も変わりませんよね。

このように、「刺青」は、谷崎のマゾヒズム性や経歴などを踏まえて論じられることが多いんですが、作品のみ(作者が誰だろうとそこは置いといて!)を見れば、また異なった読み方もできるのでは?

管理人は、特に、登場人物である女性がどのように扱われているかということに注目。

「刺青」の登場人物である女性には固有の名前がありません。
単に、「娘」あるいは「女」と呼ばれているだけ。
それは、この女性が人格を必要とされていない、“モノ”であるということを示しています。

物語が清吉の視点で、清吉を中心として進んでいくことからもそれがわかります。

清吉は、「光輝ある美女の肌を得て、それへ己れの魂を刺り込む事」を宿願とし、その女に関して「いろいろの注文」がある男でetc.…と、とにかく細かく内面が描写されています。
何を望み、何を考えている男なのか。
清吉に関しては、それが分かる。

一方、女性は、清吉の目から見た女性として描かれているのみ。
女性の内面をうかがわせる描写はほとんどなく、顔立ちや肌や足といった外見ばかり細かく説明されている。
まるで人形のような女性を思わせる描かれ方。

清吉が女性を人間として見ていないことが最もよくわかるのが、清吉が女性の足を見る場面です。

その場面は三度あります。
一度目は、「深川の料理屋平清」の前で、「籠の簾のかげから、真つ白な女の素足のこぼれて居るのに気がついた」場面。
二度目は、馴染の辰巳の芸妓から使として女性が清吉を訪ねてきたとき、縁にかけさせた女性の「巧緻な素足」を眺めた場面。
三度目は、清吉によって刺青を施され、色上げのために湯を浴びた後の苦痛によって女性が横たわったとき、「女の背後には鏡台が立てかけてあつた。真つ白な足の裏が二つ、その面へ映つて居た」という場面。

一度目の場面で、清吉は女性の足しか見られませんでした。いや、むしろ足のみ凝視。
初めて見た女性の足の克明な描写が次。

その女の足は、彼に取つては貴き肉の宝玉であつた。拇指から起こつて小指に終る繊細な五本の指の整い方、絵の島の海辺で獲れるうすべに色の貝にも劣らぬ爪の色合ひ、珠のやうな踵のまる味、清冽な岩間の水が絶えず足下を洗ふかと疑はれる皮膚の潤沢。この足こそは、やがて男の生血に肥え太り、男のむくろを踏みつける足であった。この足を持つ女こそは、彼が永年たづねあぐんだ、女の中の女であらうと思はれた。

足ひとつでそこまで言うか;
これだから、フットフェティシズムの話だよね、これは。としか思われないんだよ…。

それはともかく。
上の描写からわかるように、清吉にとっては、女性の身体の一部分である足が女性の全て
言い換えれば、女性を“モノ”としてとらえているのです。
女性の人格には興味がないからこそ、女性の体の一部で女性のすべてを判断することができるのです。「肉の宝玉」という表現からも、清吉が女性を、女の形をした単なる「肉塊」として見ていることがうかがえます。

二度目の場面で、清吉はやっと女性の顔を見ます。
そのときの女性の姿は次のようなもの。

年頃は漸う十六か七と思はれたが、その娘の顔は不思議にも長い月日を色里に暮らして、幾十人の男の魂を弄んだ年増のやうに物凄く整つて居た。それは国中の罪と財との流れ込む都の中で、何十年の昔から生き代わり死に代わつたみめ麗しい多くの男女の、夢の数々から生れ出づべき器量であつた。

このとき清吉が注目しているのは、刺青を施される素材としての「器量」でしょうね。
清吉は、「激しき恋」をしていた女性と出会っても、気持ちを通わせようとはしません。ただ、ひたすら女性の足を観察して何を言うかと思えば、

顔を見るのは始めてだが、お前の足にはおぼえがある。」

おいおい;
他に言うことはないのかよ。

どうやら、清吉のいうところの激しき恋の対象は人間ではなく“モノ”としての女性の「体」にすぎないらしい。 (ある意味、すごく男らしいね;)

また、女性に刺青を施す場面でも、清吉の性根が知れます。
清吉は女性の意思をまったく無視。
麻睡剤」で女性を眠らせて刺青を施します。言っておくけど、それ犯罪だよっ;

この行為について、新保邦寛氏は、「女にできるだけ苦痛を与えまいと」して麻睡剤を使っている、
森安理文氏は麻睡剤の使用は「悪の介入」を示している、
と述べられています。

しかし。

清吉はそんなこと考えてないって。 (断言)

この「麻睡剤」の使用が意味することは、やっぱり、女が自分の意志では動くことのできない“モノ”として清吉に扱われているということ、だと管理人は思います。
意識を失ってされるがままの女性…。
本当のサディストならそんな人形みたいなのを苛めてもツマランと思うでしょうし、女性を思いやるような男なら初めからこんなことしませんて。

というわけで、「刺青」の女性はどこまでも受動的な人格のない“モノ”でしかありません。 (いいかげん、“モノ”“モノ”うるさい? まだまだ続きますよ―;)
逆に言えば、「刺青」の主人公はあくまでも清吉。
女性が刺青を入れられて、臆病な「」からサディスティックな「」へ変っ身!って話ではないと思うんですよ。

そして、清吉が主人公だとしてもですよ、
サドの清吉が、うぶな女性に無理矢理、刺青と悪徳を注ぎこんでウヒヒヒ―って話でもなければ、
実はマゾの清吉が、女性を自分好みのサディストに作り変えてアナタ様こそ私の理想―って話でもなければ、
実は真の芸術家の清吉が、美女に最高傑作の刺青を入れて美しいアナタに跪きます―って話でもないでしょう;

まあ、清吉が、女の「男の生血に肥え太り、男のむくろを踏みつける足」に惹かれ、「男と云う男は、皆なお前の肥料になるのだ。」とのたまうところから、マゾヒズムの要素をみることができることは否定しません。
…というか、あきらかにマゾだろう、こいつ。

また、「この若い刺青師の心には、人知らぬ快楽と宿願とが潜んでいた」という記述にある「快楽」って、やっぱりサディスティックな「快楽」なんでしょうね。
清吉が、刺す針の痛みに呻く声に「不思議に云ひ難き愉快」を感じることやら、刺青を彫られて苦痛にうめく客を眺めながら、「嘸(さぞ)お痛みでしょうがなあ」と冷ややかな笑いを浮かべることやらを思えば…。
こいつはサドだ、と誰もが考えるのも無理はありません。
…文脈からそうとしか読めませんよね。
ええ、こいつは、サドです。
正確には、自分が苛めて弄ぶ対象が苦しめば苦しむほど悦ぶサドであり、そうやって痛ぶった自分より下の相手に逆に見下げられる屈辱に歓ぶマゾです。
一言でいえば、変態です。
でも、それは結構どうでもいいことなんですよ。
ただ、清吉という男がそういう強烈なキャラだというだけで。

だって、清吉の「快楽」と「宿願」のどちらに重点が置かれているかといえば、「宿願」の方でしょ。
清吉の「快楽」についての説明よりも、「光輝ある美女の肌を得て、それへ己れの魂を刺り込む」という「宿願」についての説明の方があきらかに多いし細かい。
その上、「宿願」の説明 → それを受けるように娘が物語に登場 → 刺青を施される という展開から考えると、サディズムだのマゾヒズムだの変態性欲にこだわって読むだけというのは面白くない。
「宿願」って結局どういう意味があるのさ? 何かの暗喩? と考えた方が面白そうですよ。

では、清吉が「宿願」を達成することで芸術の理想を表出した云々という説が説得力のある読み方なのか?

いやいや。
芸術家として美を創造することだけならば、主人公が刺青師である必要はないですよね。浮世絵師であってもできることです。清吉は刺青師に「堕落」しているから自分に残された手段として刺青によって美を創造したという考え方もあるようですが。
でもね、美女の肌に己れの魂を刺り込むという「宿願」こそが清吉にとって重要だったんですよ。

「美女の肌に」! ここ重要。大事なことだから二度言いました。と、清吉に聞いたら、そう答えそう。

刺青じゃないとダメなんです。清吉にとって刺青師であることは、たとえ「堕落」とされることであっても本望だったのでは?

冒頭の次の一節からも清吉が刺青師として登場しなければならなかったことが読み取れます。

すべて美しい者は強者であり、醜いものは弱者であつた。誰も彼も挙つて美しからむと努めた揚句は、天稟の体へ絵の具を注ぎ込む迄になつた。

ここから、作品の世界は美=強者という法則によって支配されているとわかります。それだけではなく、美=刺青ということも。
つまり、強者であるためには美しくなければならず、美しくあるためには刺青が必要。
その刺青は生身の人間の肌に彫られるという点で浮世絵とは決定的に異なります。
要するに、この作品で清吉が手掛けるのは浮世絵など他の「芸術」ではなく「刺青」でなければならないように既定されているのです。
したがって、「芸術家」の清吉が刺青という手段で美を創造した―というのは少々的外れなのではないかと。
「刺青師」の清吉が「宿願」を達成したこと。これが一番重要なことでしょう。

繰り返しになりますが、その「宿願」とは、「光輝ある美女の肌を得て、それへ己れの魂を刺り込む事」です。

なぜ「美女」

刺青は刺青師一人がいるだけでは出来上がりようがないのはわかります。
刺青を施す「相手」がどうしても必要。
その「相手」が、美しい男性ではなく、美しい女性であることにこだわることが、刺青を施すという行為に性的な意味を感じさせ…ませんか? (え? 私の邪推?)

だって、女性を指す「娘」という呼称が、刺青を施された後の作品の末尾では「女」に変わっているんですよ!?
このことから言えるのは、刺青は「女」を生み出す行為である! (大声で何を言っているんだか、というツッコミはなしという方向でお願いします) ってことではありませんか?

(ここで留意しておきたいことがひとつ。
女性は、自ら「娘」から「女」に生まれ変わったのではなく、麻睡剤で眠らされている間に清吉によって生まれ変わらせられたにすぎない。清吉は「娘」を、自分を注ぎ込むのに適した「器」としか見ていない。)

さあ、見てください。
次に示す一連の引用文は、娘の背に清吉が刺青を彫る様子。
なんかこう、刺青を入れるという行為に、別の隠微な行為が重なるような…

若い刺青師の霊は墨汁の中に溶けて、皮膚に滲むだ。焼酎に交ぜて刺り込む琉球朱の一滴々々は、彼の命のしたゝりであつた。彼は其処に我が魂の色を見た。

さす針、ぬく針の度毎に深い吐息をついて、自分の心が刺されるやうに感じた。 
その刺青こそは彼が生命のすべてゞあつた。その仕事をなし終へた後の彼の心は空虚であつた。


これらの描写からは、清吉の魂が刺青という行為を通じて「娘」の肌へと移っているという事実が見てとれます。
このために、「娘」に刺青を施し終えた清吉は空虚な存在となり、最後にはまるで「女」に支配されているように見えるのです。
しかし、事実は最初から最後まで「娘」あるいは「女」は清吉に支配される受動的な存在でしかないでしょう。
清吉の生命のすべてが注ぎ込まれた女郎蜘蛛の刺青は、「女」になりかけている「娘」が目覚めるのとともに「生けるが如く蠕動」していますね。
この女郎蜘蛛の刺青が新たに生命を持ったと思わせる描写です。

清吉の命の結晶=女郎蜘蛛の刺青?

また、その女郎蜘蛛の刺青は、「女」の体を抱きしめているかたちで「女」の背にあります。
苦しからう。体を蜘蛛が抱きしめて居るのだから」と清吉は「女」に言います。
ここから、刺青=清吉の生命が「女」を支配していると考えることができます。

さらに。
「女」の足が三度目に清吉の目に留まるのは、刺青を施された後の苦痛に「女」が横たわっているときですが、「女」の背後の鏡に映るのは「女」の姿ではなく、「女」の「真つ白な足の裏が二つ」でしかありません。

まだ、足かよ…;

このことからも、「女」が人間として一人前になったわけでなく、依然として清吉に「足」オンリーで価値を決められる“モノ”でしかないことがわかります。

野口武彦氏が、「刺青師と女の間では、強者弱者の関係が逆転する。男の被造物はその瞬間から男の支配者に変貌を遂げるのである。」と述べられているのは、おそらく、清吉が「女」に「帰る前にもう一遍、その刺青を見せてくれ」と懇願する一節のせいでしょう。

しかし!
清吉は「女」の背の刺青に生まれ変わったと考えればどうです?
「女」は依然として清吉の“モノ”であり、もっと言うなら、清吉という人間の命をつなぐ“器”にすぎない。
命を注ぎ尽くして残った抜け殻のような清吉が、清吉の生命を注ぎ込んだ刺青を見たがったとしても、「女」が清吉を支配している!ってことにはならない。と思うんですが。

また、最後の一節にはこうあります。

折から朝日が刺青の面にさして、女の背は燦爛とした

ここで、朝日がさしているのは「女」その人にではなく、「刺青」にですね。
つまり、やっぱり「刺青」が「女」に優先して輝き、「女」を支配していると考えることができません?

以上のように、最初から最後まで“モノ”として扱われている女性に着目して考えると、

清吉が娘に施した「刺青」という行為に、一方的な性交渉のようなところを見てとることができるように思われる…のは私だけでしょうか;

清吉にとって「女」は、自分の生命を注ぎ込むことで、新たな生命を生み出すための“器”でしかない。したがって、この作品では、「娘から女への変身」や「激しき恋」や「異常性欲」や「清吉の美の創造」なんかはどうでもよくて、清吉の「宿願」の達成こそが最も重要。
清吉という男が「刺青」という行為を媒体にして、「女」という“モノ”に清吉の魂を刺り込み、生命が清吉から「女」に流れ込み、清吉が「女」の背の美しく強い「刺青」として生まれ変わるという「清吉の変身」こそが、作品「刺青」で描かれているのだと管理人は思います。

長々と書きましたが、要は…。

男が年端もいかない娘をレイプして「オマエを女にしてやったぜー」という状況を、男の視点から耽美に仕立てた作品っぽい。 
……(刺青を施す針=男性生殖器)

もっと邪推するなら、「娘」は、辰巳芸者(辰巳の芸者は素足が特徴!)の卵の半玉ちゃん。
刺青師と縁があるって、やっぱり花柳街の女じゃない? ほら、客のために「◇▽様 命」って彫ったり、内股に色っぽくて華やかな刺青を入れたりしてたらしいし。 (遊女と芸者は違うんだけども…;)旦那のために刺青を入れたっていうのはありそう。
それに、水商売の女になる子だからこそ、「男を喰い物にする女!これがオマエの未来だ!」って言われて「はい、その通り」って肯いたんじゃないかなぁ?
この子は、16,7になったからそろそろ水揚げだねーって年頃で、絶世の美女に成長しそうな超美少女。

この先、色里で男を食い物にしていくだろう魔性の女の初めての相手がこのオレ!
アナタを水揚げできるなら、オレの持てる物すべてをつぎ込みますとも!
このオレが、稀代の名芸妓を作り上げた旦那様だぜ!
アナタの肥やしになるなら玉代なんて惜しみません!
自分の女を美しく飾り立てて磨き上げることがオレの自己実現!
男を踏みつけにするアナタのおみ足は最っ高ーに好みです! 
という、マゾ男の理想を婉曲的に描いている…とか?

我ながら、ひでぇ読み方だな;
どんなに根拠のない妄想を書き散らしても怒られないって素晴らしいv

ブログっていいね! (逃走っ)


※ 引用部分はこの色で表示しました。

帯にしたいフレーズ

「この足こそは、やがて男の生血に肥え太り、男のむくろを踏みつける足であった」(『谷崎潤一郎全集 第一巻』より)

清吉よ。
おまえはいったい何を見ているんだ。何がしたいんだよ…?

キャラクタ 愛してるキャラだけ紹介します。

◆ 清吉  愛してないけどこいつしか紹介する奴がいない

刺青師。

このサドの振りしたマゾめ!
自己中の足フェチ野郎め!
逝け、逝ってしまえ!

似合うは?

カラジウム 
花言葉は、
「喜び」
「歓喜」

カラジウムの花はあまり目立ちません。
目立つのは、葉っぱ。
緑の葉の真ん中から妖しい紫色の筋が広がっています。
別名を「錦芋」「葉錦」
ですから、色鮮やかな刺青を彫る清吉には似合うのではないでしょうか。

清吉は、自分の理想の女が見つかって、そりゃあもう喜んで歓んで、彼女に刺青を施してましたしね。
……この変態め。

イメージカラーは?

…極彩色?

名(迷?)台詞

「顔を見るのは始めてだが、お前の足にはおぼえがある。」

本っ当に、気色の悪いイヤな男だなぁ。
足で女を判別するなよ、足で…;

豆知識 

刺青
肌に針などで色素を入れて描いた文様。入れ墨(いれずみ)と言えば、刑罰として“入れさせられた墨”のイメージ。刺青(しせい)や彫り物、タトゥーと言えば、一種の芸術のイメージ。…かな?
ニュアンスが違うのは、刺青の目的がいろいろあったせいでしょうか。
個体識別のため(家畜とか囚人とかに入れる)、身分表示のため(弥生時代には文様から身分や所属がわかったとか…)、身体装飾のため(江戸時代後期には、火消しや鳶職の間で刺青が流行ったらしい)、刑罰のため(顔に「犬」って字が入ることもあったとか;)、通過儀礼のため(特に成人の儀式ね。かなり痛いらしい)、あとは紋々(もんもん)背負っている人(やくざ屋さん)が覚悟を示すためとか、自分の所有物であることを示すために、奴隷や女に彫るとかetc.etc.
女郎蜘蛛 
黄色と黒っぽい緑青色の縞々模様のでかい蜘蛛。いかにも蜘蛛らしい縦横に糸の張られた円い網状の蜘蛛の巣の中心で獲物を待ち構えている。雌の方が大きい。雄は油断すると交尾のあと雌に喰われるので、雌が食事中にお邪魔するのだとか…;
毒々しくて鮮やかで目立つ。そのせいか「絡新婦(じょろうぐも)」という蜘蛛女の妖怪も連想されたようである。この妖怪、絶世の美女で、好みの男を捕まえて喰うらしい。
フェティシズム 
呪物崇拝とも物神崇拝とも。物や人体の一部を性的対象とする性癖。一般的には異性の人間を性的対象にするものだから、その人間の一部だけが対象ってどーなのよ?…ということ。
足フェチだから恋人は足がきれいな人がいい~vとか、声フェチだから声が渋い人がいい~vとかは、フェティシズムとはちょっと違う。
サディズム 
加虐趣味ともSともいう。フランス革命の時代のポルノ作家、マルキ・ド・サド侯爵に由来する。この人のポルノ小説は現代人が読んでも引く。縛ったり打ったりは序の口だよ…。『ジェローム神父』とか…;手脚がないよ!? 人豚かよ!? 
マゾヒズム 
被虐趣味ともMともいう。オーストリアの作家、ザッヘル・マゾッホに由来する。この人の自伝的小説などに苛められて歓ぶ男が登場する。自分の妻をわざと他の男と旅行に行かせて、屈辱と精神的苦痛に酔っていたりするあたり…すごい;

参考文献

『谷崎潤一郎全集 第一巻』  書誌情報は上記と同じなので省略
永井荷風「谷崎潤一郎氏の作品」(「三田文学」第二巻第十一号)明治四四年一一月 三田文学会
高村光太郎「純一な藝術が欲しい」〈「刺青」「少年」「幇間」「悪魔」評〉」(「新潮」)明治四五年三月 新潮社
野口武彦「「刺青」論―谷崎潤一郎の始発をめぐって―」(『現代文学講座8 明治の文学Ⅲ』)昭和五〇年四月 至文堂
西沢正彦「『刺青』論―清吉の堕落劇」(河野敏郎編著『論考 谷崎潤一郎』)昭和五五年五月 桜楓社
新保邦寛 「原「刺青」の構図―その復原に関する一つの試み―」(「語学文学」第二巻第十三号)昭和六〇年三月
森安理文「『刺青』論―その劇的享楽について―」(「國學院雑誌」第七五巻第一一号)昭和四九年一一月 國學院大學

古い論文ばっかりなのは、古い方が感想を書くのに使いやすそうだったから…;
  すみません。
  新しい論文、読んでません;


参考サイト

Wikipedia、2009.11.20   豆知識に活用させてもらいましたー。


刺青・秘密 (新潮文庫)刺青・秘密 (新潮文庫)
(1969/08)
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